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ごあいさつ

3年を迎えて

 

 東日本大震災から3年がたちました。当初、自分にはこの3年はできることはしたい、始めたことを続けたいという思いがあり、私にとっても3年は一つの区切りでした。

 

 私は、2011年5月から縁あって、仙台に、途中から岩手県の一関にも定期的に通っています。始めの1年は1か月から2ケ月に1回、二年目以降は年に3、4回行きました。シュタイナー教育関係のところに、だいたい看護師さんと一緒に伺って、親子さんの診察や医療相談やアインライブングをさせてもらっています。

 今年の2月にも3日間かけて伺いました。記録的な大雪のなか、奇跡的に!?全行程を予定通り終えることができました。昨年の3・11前は、現地の方々は季節の感じや匂いや雰囲気で、当時のことを思い出してつらい、と言われていました。今回は同じ季節にも、一歩進んでおられる感じがして、心配だと感じることはありませんでした。

 

 そして、一区切りの3年を前に、今後の医療支援をどう継続的に行うことができるか、という話を少ししてきました。決して3年たつから医療支援を打ち切る、ということではなく、むしろ一歩進む時期だと思ったのです。現地の方からもいつまで被災者と呼ばれるのかという疑問を聞きますし、いつまで支援を受ける人と支援するという関係なのか私も迷います。次のステップとして、現地の方々が自ら自分たちに何が必要か考え、それをどう作っていくのかと主体性をもって進まれるところを、できるだけ協力したいと思いました。なぜならその主体性が、今後の健康づくりに重要だと思うからです。(しかしそれは被災地だけの問題ではない、全国的に必要だと同時に思います。)前向きに考えてもらえたのではないか、と感じて帰ってきました。

 

 そんな2月の仙台行の後に、実際に3・11が近づいてくると、しかし私自身が非常に落ち着かなくなり、数日は気分が落ち込みました。そして現地でも体調を崩す話を聞きました。阪神大震災でも、3年が過ぎた頃から体調を崩す例も多かったと聞きます。3年という一つの区切りが、もう3年と思えたり、まだ3年と思えたり。3年という年数を経て、むしろ体験が個別的になっているといえます。一律のケアではなく、より意識的な個別のケアが必要なのです。なおさら、一人ひとりの自発性がより発揮されることが重要です。夏の親子保養合宿では、参加者がここで様々な体験をしより健康になってほしい、そのうえで地元に帰った時により自発的に考えたり行動できるようになっていただきたい、それをお手伝いしたいと願っています。(安達晴己)



代表  安達 晴己 

副代表  牧野 奈巳 

    宇佐美 陽一

2014年 6月6日

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